人工知能と弁護士(タウンニュース紙上企画第1回)

「人工知能が囲碁の世界チャンピオンを打ち破る」man_vs_ai_igo
その衝撃的なニュースが世界中を駆け巡りました。

 この知らせは驚きをもって迎えられました。なぜなら、チェス等の他のゲームにおいては、既に人工知能が人間のチャンピオンを打ち破ってきていたものの、囲碁は、その複雑さゆえ、コンピュータがプロ棋士に勝つのはまだ当分先だろうと思われてきていたからです。
 私は、以前理系であったこともあり、このニュースを興味深く追っておりました。そして、弁護士として、このような人工知能の飛躍的な発展を前にして、深い危機感を抱きました。

 


そもそも人工知能(AI)とは何でしょうか。
文字通り解釈すると、「人工」的に作られた「知能」ということです。
では、「知能」とは何でしょうか。
この問題を突き詰めると、「意識」とは、そして「心」とは何かという哲学の難問に連なる問いになっていきます。

 そこで、ひとまず現在の人工知能研究について概観してみることにしましょう。

  囲碁においてグーグルが開発した人工知能アルファ碁では、ディープラーニング(深層学習)という手法が用いられました。このディープラーニングという技術は、「ニューラルネットワーク」という計算手法をベースにしております。ニューラルとは、脳の神経細胞である「ニューロン」のことであり、脳の情報伝達を模したものです。入力される情報毎に重み付けをして、それを繰り返すことにより学習していきます。

 この手法を使えば、全ての選択肢を総当たり式に試みる必要はありません。データからしかるべき特徴を抽出して判別するということが可能になるからです。例えば、犬の写真や猫の写真を何枚か見せることで、その中から犬と猫にそれぞれ共通の特徴を把握し、次に見せた動物の写真が犬か猫かを判別することが可能になります。

 アルファ碁も序盤から全ての手を読み切って勝利した訳ではなく、このようなメカニズムを利用して、過去の盤面から学習した成果を基に勝つ可能性が高い手を打っていったのです。

 最近では、このようなソフトウェア的な試みのみならず、ハードウェア的に脳を模倣するプロジェクトも進んでいます。この研究については日本においての開発も進んでいます。

computer_jinkou_chinou このように、人工知能はまさに現在、飛躍的に発展しております。そしてその結果、人工知能が人間の能力を凌駕するまでになり、それにより甚大な影響がもたらされ、人間の生活自体が後戻りできないほどに変容する(これを,シンギュラリティー:技術的特異点と呼びます)という予測があります。それがいい方向への変化だけではなく、悪い方向への変化、最悪の場合、人類に災悪をもたらすことにもなりかねないという予測をする人もいます。

 そのような事態にはならないまでも、肉体労働のみならず、知的労働においても、機械が人間を代替する可能性は大いにあります。しかも、ある程度定型的な作業のみならず、創造性が要求される分野までも及ぶかもしれないということです。

 弁護士という職業は人工知能に代替されるのでしょうか。
この問題を考えるに際しては、弁護士という仕事の内容について問い直すことが有益です。

 まず、法律の専門家として、法律や判例についての見解を指し示すということが考えられます。この場合も、単に六法や教科書に載っているという知識だけでなく、異なる事案で射程の異なる法を適用し、依頼者ごとに最適解を探っていくという作業を伴うため、一筋縄ではいきません。
 もっとも、ビックデータである事案群を集積して学習するという手法がもっと発達した場合、このような働きについても遜色無い人工知能が生まれる可能性はあり得ます。 

 また、弁護士は、紛争を解決すること、その助力をすることを使命としております。対立する当事者の一方から依頼を受け、交渉をし、相手方との間で妥協点を探っていくことになり、その延長線上に訴訟があります。そして当然ですが、依頼者に最大限に有利な解決案でもってことに臨むことになるわけですが、それを考えるに当たっては裁判例を参照にしつつ提案をしていくということになります。
 交渉においては、依頼者との間の信頼関係が必要なことはもちろんですが、対立する交渉の相手方との間にもある種の信頼が存在することが必要です。弁護士であれば酷いアンフェアな提案はしてこないであろう、理不尽に約束を破るということはしないであろうという信頼です。
 このとき大事なことは、職業的な公正さに対する信頼です。これについては先人達の努力もあり、一定の信頼は存在します。もっとも、人工知能であっても、将来的に果たす役割によっては、人工知能の利用者がその公正さを信頼することはあり得るかと思います。

 では、人工知能にはなく、弁護士にはあるというものはなんでしょうか。
 それは、まさに「人間である」というその一事です。
 人間は、一つの自我を持ち、感情を持って日々を生き、生活史を重ねる存在です。私も、日本という国の神奈川県の中の秦野市に生まれ、そして様々な想いを抱きながら成長してきました。依頼者が、悲惨な状況に陥り、苦しい状況にもがいているとき、その気持ちに寄り添い、ときに涙を流しつつ、共に困難を乗り越えていくということ。これは、同じ人間だからこそできることであると信じております。


【参考文献】 

松田卓也「人類を超えるAIは日本から生まれる」
伊庭斉志「人工知能と人工生命の基礎」
レイ・カーツワイル「ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき」
ジェイムズ・バラット「人工知能 人類最悪にして最後の発明」
ニューラルネットワークと深層学習 
石川信行、白井祐典「いまさら聞けない Deep Learning超入門」
ブライアン・クリスチャン「機械より人間らしくなれるか?」

 

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