幽霊の法律学(タウンニュース紙上企画第2回)
秦野市に心霊スポットがあると,一部でまことしやかに言われているのをご存知でしょうか。
市を横切る国道246号線を東に走ると,伊勢原市との境に新善波トンネルがあります。
その手前で脇道に入り,ホテル等が位置する付近にその善波トンネルは位置します。
ここで幽霊が出るという都市伝説があるのです。
様々なバリエーションがあり,とある男性の名前の幽霊が出るというもの,その幽霊と同じ名前の者はここで事故を起こすというものなどです。
なぜこのような噂が発生したのでしょうか。
善波トンネルは,昭和3年3月に開通し,昭和39年に新善波トンネルが開通するまでは
この付近の交通の中心を担ってきました。
昭和40年9月2日,当時秦野市に住んでいた少年が,
そのトンネル付近で交通事故に遭い,お亡くなりになってしまいました。
当時は高度経済成長時代で,自動車が普及しだし,交通戦争の真っただ中でした。
少年の父親は,もう自分と同じように悲しい思いをさせたくないという尊い想いから,
事故現場に街路灯を設置し,交通安全を願った看板を建てたということです。
その看板にその少年の名前が書かれていたことから,
憶測とともに都市伝説が広まったものと思われます。
世の中には多くの怪談や怪奇譚が流布していますが,
これらのほとんどは幻覚や錯覚現象として,心理学や精神医学の立場から
科学的に説明することができるとされています。
車の運転においても,例えば,高速道路催眠現象というものが知られています。
車という狭い空間に閉じ込められ,単調な視覚刺激が続くことによって,
次第に刺激に対して反応しなくなります(これを馴化といいます。)。
やがて注意力が低下し,覚醒状態を保つことが困難になり,居眠り運転につながるのです。
この際,意識の性質が変容し,催眠状態に陥り,幻覚を見ることもあり得るのです。
現在も大きな社会問題であり続けている交通事故に対処するためには,
このような人間の心理や習性を考慮に入れ,余裕を持った行動をする必要があります。
法律学は,近代合理主義の洗礼を受けて発展してきたこともあり,
神秘的で超自然的なものは排斥し,科学的な思考方法を至上のものとしてきました。
例えば,呪いや丑の刻参りで人を殺そうとしたとしても,
それは科学的におよそ不可能なので,そもそも犯罪に当たらないとされています。
裁判においても,科学的な鑑定結果には大きな価値が付されます。
もっとも,たとえ科学的には幽霊などが出ないということになっていても,人は不合理であっても,恐れを抱くことがあり,それが行動に影響を与えます。
その行動の影響についてを判断するという限りで,法律の世界でも非合理的な存在が忍び込みます。
一例として,人が亡くなった建物や事故を起こした車などが,市場で値崩れを起こすことがあります。
事故車の場合には,評価損という形で事故の賠償金額に反映することがあります。
不動産のいわゆる事故物件についても,心理的欠陥として,それを売った人が賠償する責任を負うということもあります。
このような合理性の枠内には収まらない人々の感情や想いもとても重要なものです。
しかし,ネット上での感情的な吹き上がりが現代社会の大きなリスクとなっている昨今,
やはり,正確な事実に基づく冷静な議論こそが重要であり,
そのための方法論として法律学は有益なものであるといえるでしょう。
[参考文献]
井上卓三「名古木の移り変わり」『秦野市研究』第10巻
小池壮彦「『○○君』(参考元は本名)だけが事故に遭う善波峠の怪」『ムー』第194号
中村希明「怪談の科学 幻覚の心理を探る」
升田純「風評被害・経済的損害の法理と実務 第2版」