空き家・まちづくり・境界線(タウンニュース紙上企画第5回)
街を歩いているときに,誰も住んでいない,放置されたボロボロの家を見たことはないでしょうか。
近年,空き家の増大が大きな社会問題となっています。
平成25年で空き家数が820万戸となり,その数は増え続け,今や全国でおよそ8件に1件は空き家ということになっております。
しかも,このような空き家は,過疎が進む郊外だけで増えているというわけではありません。
都市部においても空き家が多くなっております。
ある調査によれば,空き家を持っている方の半数以上が市街地又はその周辺に空き家があるということです。
このような空き家の増大は,それ自体が周辺の住民に悪影響を与えますが,それだけではなく,現在の社会の構造的な問題点も浮き彫りにしています。
そもそも,空き家が増えて何が問題なのでしょうか。
まず,人が住んでいない家は,どんどん劣化していきます。
私も,何度か長いこと使われていない邸宅に入ったことがありますが,何とも言えないどんよりよどんだ空気に足が鈍りました。
部屋の換気がなされないことで,カビが生えたり,木材を腐らせることになるのです。
また,水回りが放置されることで,排水管が劣化し,下水の臭いや虫が湧き出てきます。
雨漏りや壁のひび割れも修復されず,風雨にさらされていることで,やがて倒壊の危険も出てきます。
それに加えて,雑草が繁茂したり,蚊などの害虫が発生する危険があります。
不審者のねぐらになる恐れもあり,犯罪の温床になり,治安も悪化する恐れがあります。
さらに,景観が悪化することにより,周辺地域の地価が下がるという事態にもつながります。
このように,空き家が存在することにより,周辺の住環境も悪化することになるのです。
空き家の増加していることについては,様々な原因が考えられます。
空き家になる直接の切っ掛けとしては,相続によることが最も多いということです。
そうであっても,例え家を相続したとして,それが不要であったり,分割交渉がまとならないなら,売って現金で分配すればいいとも思えます。
しかし,不動産は,売ろうと思っても必ず売れるとは限りません。
むしろ,今後は,日本の人口が減少する局面となっていきます。
不動産についても,新たに購入しようとする者が少なくなることになります。
需要不足により,不動産価格が下落していくだけならまだしも,売ろうと思っても売れず塩漬け
にせざるを得なくなることも多くなります。
売ろうにも売れないとすると,買い替えにより転勤や転職がしずらいということになり,不動産を購入する人も少なくなる悪循環に陥ります。
それに加えて,日本では,新築住宅の人気が非常に高く,中古住宅市場はいまいち盛り上がりに欠けます。
そのように,中古で売ることが難しいならば,賃貸すればいいのではないかとも思えます。
しかし,賃貸市場についても,相続対策として賃貸物件化することが有用であるということもあり,供給が飽和してきております。
さりとて,家を壊すのにも数十万の解体費用が掛かりますし,更地にすると固定資産税が跳ね上がるとなります。
そうなると,売ったり,貸したりすることは難しいとしても,壊すまでせずに,そのまま放置しておくという選択肢を採ることが自然になってきます。
かかる事情を背景に,空き家が増大しているということになります。
このような根深い空き家問題について,どうやって対処していくべきなのでしょか。
もちろん,行政や立法も手をこまねいているというわけではありません。
昨年,「空き家対策の推進に関する特別措置法」という法律が制定されました。
この法律により,ひどい状態の空き家の固定資産税の優遇を止めるという間接的な方法や,
役所が直接排除まですることができるという直接的な方法により,空き家を排除することができるようになりました。
また,自治体が独自の対策条例を制定し,空き家バンクなどの紹介制度を作ったりしたり,様々な対処法を立てています。
しかし,この問題の根本的な原因は,日本における少子高齢化にあります。
昭和期には,核家族化と人口増加により,世帯数が増加し,それに伴い住宅が建設されました。
日本住宅公団,住宅金融公庫などの政策的誘導が,持ち家の取得を誘導し,後押ししてきました。
これにより,住宅供給が爆発的に増える好循環が続いたのである。
しかし,住宅増を支えた世代が高齢者になり,亡くなられるという段になっても,
上述のように,人口が減り,需要が不足し不動産価格が減少する局面ではうまく処理できないのです。
このような少子高齢化は,地方だけでなく,都市部・首都圏においても今後急速に進行していきます。
このような大きな問題が横たわっている以上,制度的な対処だけでは足りません。
人口が減少するという局面に対応するために,抜本的に,街の形やコミュニティの形から検討する必要があります。
街の形については,いわゆるコンパクト・シティを志向するという方向性が考えられます。
従来,都市政策といえば,成長,拡大が第一でありましたが,それを根本的に転換する発想です。
人口減少を対応し,居住や機能を市町村の中心部に集約することで,暮らしやすさの向上や商業の活性化を図ることになります。
今までの街としての境界線を縮小し,再定位することで,将来の人口に見合ったバランスのとれたまちづくりが可能になるのです。
もっとも,日本においては,所有権などの私権がかなり強いため,誘導的でソフトな手法によるしかないことがままあります。
行政のみによっては,街の形を変えることには限界があるのです。
また,街は,結局は人々の集まりです。
街を変えるということは,その人々の意識や集まり方に左右されます。
具体的には,行政を補ったり,むしろ主体的にまちづくりの主体として,コミュニティの力を要請する試みがなされたりしています。
コミュニティとしては,多層的な存在が想定されます。
地域コミュニティとしての自治会や町内会などの伝統的なものもあります。
消防団員,民生委員などの行政委託型のボランティアも含まれるでしょう。
ライオンズやロータリーなどの奉仕団体もありますし,青年会議所やNPO,ボランティア,市民団体なども考えられます。
このような多様な団体がそれぞれ個別に,そしてときに共同することにより,力あるまちづくりがなされることになるかと思います。
もっとも,このような個々のコミュニティ同士で健全なレベルの競い合いならよいのですが,
それぞれの外部への対立が峻烈になったり,内部に対しての抑圧が強くなったりすると,逆にマイナスに作用してしまいます。
それぞれの団体が自己を規定する境界線が,固定的にならず,寛容を旨として運用されることが重要なのです。
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