すき家ストライキ騒動に見る新しい労働運動の形
先日、面白い事件がネットを賑わせました。
「5月29日のニクの日にストライキをしよう」という呼びかけが大手牛丼チェーン店のすき家のアルバイトに対してなされたのです。
興味深いのは、これが労働組合が主導してなされたのではなく、半ば自然発生的に生じたこと。主導者も定かではなく、ツイッターなどを中心に広まりました。
すき家の従業員にストライキ呼びかけ、ネットで拡散 閉店は「1店舗もなし」
それに対して、すき家を運営する株式会社ゼンショーの組合であるゼンショーユニオンは、この動きに対して違法なストライキに当たると事前に警告を発しました。
組合が主導しないストライキは「正当」か ~ ストライキの主体
無断で仕事を休んだとしても、それが「正当な」ストライキに該当する場合には、会社から損害賠償を請求されず、ストライキを行ったとして不利益な取扱いを受けないことになります。
では、今回のように労働組合により主導されていないストライキが「正当なもの」になるのでしょうか。
これにはストライキ(を含めた争議権)の本質論から異なった判断があり得ます。
まず、ストライキは団体交渉の行き詰まりの打開策であるという考え方があります。この見解からは、ストライキの権利を有するのは、団体交渉の主体である労働組合という集団であり、ストライキの正当性についても、団体交渉の主体となり得るかどうかで判断することとなります。
裁判例は、このような考え方に親和的で、「労働組合に類似する組織でないと正当なストライキといえない」というものが多いです。今回の場合は正当なストライキに当たらないということになりそうです。
これに対して、ストライキとは、嫌な条件では働かないという人間の尊厳にも根ざす根源的な自由を基礎に考えるべきものであるという考え方もあります。このような個人を主体とする考え方は、労働組合の組織率の低下、御用組合が多数存在するという現状を踏まえるととても現実的なものです。
このように考えると、今回のようにはっきりとした団体的な行動が取られていない場合であっても、ストライキの正当な主体として認められる可能性はあります。
事件の顛末 ~ そもそもストライキがなされたか?もしくはストライキの有効性
さて、今回の呼びかけはどのような結末を迎えたでしょうか。
ネット上では、人手不足のため業務を縮小している店舗や閉店中の店舗があったという写真画像付きの報告もあったようですが、ゼンショーの広報担当者によれば、「ストによって閉店している店舗は1店舗もない」と回答したということです。
ゼンショー「ストによる閉店は1店舗もない」 すき家ストライキ運動は幻に終わった?
真相は定かではありませんが、この顛末からは、労働組合がストライキを主導する意義も明らかになってきます。
労働条件を改善させるためにストライキをするわけですが、その実現に至るルートとしては複数のアプローチがありえます。
まず、従業員が仕事をしないことで会社の業務が立ち行かなくなり、会社は経済的に損失を被ってしまう、それを防ぐために労働者の要求を飲むというやり方です。
それとは別に、労働者が自らの意思を表明するというそれ自体も意味を持っています。つまり、労働条件が不遇であるというストライキ実行者の主張が社会に知られることによって、会社の評判が落ちてしまう、それを防ぐために会社が労働条件を改善するわけです。
インターネットの活用が盛んになってきた現代においては、後者のストライキの表現機能を実現するについて、従来のような労働組合という集団を通じて以外にも様々な手法が考えられそうです。今回のようなツイッター等を通じた草の根運動は、参加する敷居も低く、アルバイトも容易に参加できるため、労働条件に対する自分の意見を表明する手段としては新しく、かつ有用性がありそうです。
しかし、同時にインターネットによる草の根的な運動だと功を奏しない、もしくは奏しにくい限界も明らかになってきたのではないかと思います。
それは、社会に対する発信力の違いです。
今回の事例でいえば、会社側の広報により、閉店している店舗は1つもないという発表がなされました。このような会社側の発表に対し、仮に従来のように労働組合が主導するのであれば、組合により、多くの組合員がストを実際に行い、ストライキとして休んでいることを示した上で、たとえ閉店している店舗はなくても、業務が制限されているなどのカウンター的な発表を行うことができます。
しかし、ネットの呼びかけに応じて行われた場合では、たとえ本当に休んだ人がいたとしても、それがストライキの呼び掛けに応じたものかは必ずしも明らかではなく、ストライキは起きなかったという会社側の発表に対して十分な反論がなされづらいのです。今回のように草の根的に広まり、主導者が存在しない場合にはなおのことです。すると、社会的にはむしろストライキの呼び掛けに応じなかったということが事実として広まり、社会的圧力を通じての労働条件の改善という目的にとってはむしろマイナスになるおそれすらあるわけです。もちろん従業員がインターネットを通じたりして個別にストライキとして休んだと発言すれば別ですが、正当なストライキとして認められずに不利益を被る可能性がある以上、一労働者にそれを求めるのは酷でしょう。
従って、社会に対しての意見発信という意味においても、やはり労働組合を通じてストライキを起こすことこそが最も有効な手段だということは現状変わりないわけです。
もっとも、インターネットを通じてのストライキも、草の根ではなく、主導者や意見を集約する仕組みを作ったうえで行われるのであれば、有効な発信ツールとなる可能性は否定できません。しかし、現在の法体系や裁判状況からは免責がなされない可能性もある以上、その仕組みが労働組合を通じてのものよりも敷居が低くかつ有効であるかどうかはなお議論が必要です。
【参考文献】
青野覚「山猫スト」日本労働法学会編『現代労働法講義5労働争議』
大和田敢太「争議行為の正当性」日本労働法学会編『講座21世紀の労働法第8巻利益代表システムと団結権』
唐津博「争議行為の概念・正当性」土田道夫・山川隆一編『新・法律学の争点シリーズ7労働法の争点』
前田達男「ストライキの正当性」角田邦重・毛塚勝利・浅倉むつ子『労働法の争点第3版』